この記事は「焦り」について書いています。だれでも「焦り」という感情をもつことがあるでしょう。その「焦り」が「不安」につながってしまうのは病気のせいでしょうか。
1.焦りの実例
まず、人はどんなとき「焦り」を感じるのかを見ていきましょう。
たとえば、同僚はどんどん昇進していくのに、自分はなかなか昇進しない。仕事のやり方が悪いわけではない。なのになぜ自分はおいていかれるのか。
また、あなたのお子さんが就職活動をしている。しかし何社応募しても採用されない。親としてはがゆいが、何もすることができない。
このように、ほかの人と比較して「焦り」を感じることがあります。これは誰もが抱く感情であり、直ちに病気とはいえません。
2.焦りから不安へ
私が日々感じている「焦り」は次のようなものです。
世の中には「無料レポート」という、さまざまなネットビジネスについてのレポートを配信しているスタンドがあります。
そこでレポートを手に入れるには、メールアドレスを入力する必要があります。
そしてそのメールアドレスあてに、自動的にメルマガが届くことになっているのです。
私は、夏みかんさん@mikanlifelogのブログ診断を受け、ブログに集中していこうと決めました。
しかしそれ以前に登録したメルマガがいくつかあります。
どれも魅力的なタイトルで、解除するのも惜しいかな、と思います。
ですが、それらを全部ゆっくり読んでいく時間がありません。
「ああ、またメルマガの未読が増えていく」と焦っています。
だれでも「焦り」を感じるシーンというものはあると思います。
しかし、その焦りが高じて、「不安」になったらどうでしょうか。
3.不安は病気の症状?
私は「本当に今やっていることは正しいのだろうか。このまま取り残されて後になって取り返しのつかないことにならないだろうか」と不安になっていしまいます。
そして「病気だから不安になるのかな」と考えます。
私は一時期「不安神経症」と診断されていたことがあります。
一般の人より強度の不安を感じ、それが不眠など、からだの症状に現われるという病気です。
「不安神経症? いったいどんな病気なんだ」とぐるぐる回りの思考になりました。
座っていても、静止することができずに、体を揺らしてしまう。手をこすりあわせる。正座してみたり、あぐらをかいてみたり、を繰り返す。
そして何より大きいのが将来への不安。「心配しても仕方のないことを心配する」という状態です。
ですが、不安を感じたからといって、ただちに病気であるということはないのです。
「不安」というものは誰もが感じる思いなのです。
ここのところTwitter界で有名な(?)PVマフィアさん@pv_mafiaのツイートに、こんなものを見つけました。
よぉ、お前ら
お前らは自分の将来が不安だ
そして、不安を打ち消すために「行動!」と考えている
しかし、そこに本質はない
不安は永遠に消えず、不安は永遠に拭えないから。
だからこそ、
不安を払拭するのではなく、不安と共存せよ
希望と不安が混ざり合い、
お前だけの美しい色彩になるんだ
— PVマフィア (@pv_mafia) August 18, 2018
「不安を払拭するのではなく、不安と共存せよ」という発言には、はっとするものがありました。
PVマフィアさんが心を病んでいる人を意識してツイートしたとは思えません。
しかし、病気の私にとって、「不安と共存せよ」というのは重みをもった言葉です。
ですので、あなたが「焦り」を感じているのなら、次のことを試してみてください。
・深呼吸する
・ストレッチする
・悩みを紙に書き出してみる
まずは体を落ち着かせ、続いて悩みを明確化することで、それにどう対処していったらいいかを一つひとつ考えていく。
悩んでもしかたないことはさっさと忘れる。
具体的な解決策が思いついたら、それをメモして、実行する。
4.まとめ
あなたの感じている「焦り」は、他の人からみると、たいしたことではないのかもしれません。
一歩立ち止まって、「なぜ自分は焦りを感じているのだろう」と自分の心の中を分析してみる必要があります。
「焦ることにより、得することがあるのか」と問いかければ、ほとんどが「焦る必要はない」という答えに到達するでしょう。
たとえば、先日の記事に「不眠」について書きました。その日はほとんど眠ることができませんでした。しかし翌日は、よく眠れました。そんなものです。
いい意味での「開き直り」が肝心です。他人と比較するのではなく、昨日の自分と比較する。それでわずかでも進んでいることを感じられれば、それに越したことはありません。
「焦りよ、さようなら」と口に出していうことです。
関連記事>不眠の原因は?病院へ行っていても不眠になったときは?
○今日の名言
わたしは絶えず個々の選手について質問を受ける。
試合に勝つ唯一の方法はチームとしてプレーすることだ。
サッカーは一人や二人もしくは三人の
スター選手のためのものではない。
(ペレ)
それでは最後に、「ありがとう」
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