2019年4月5日(金)19:00~(TBS)で爆報THEフライデーのスペシャル版が放送されます。
1970年代頃に一世を風靡したカーペンターズの、兄、リチャード・カーペンターが出演します。
今日の記事では、若くして亡くなった妹カレン・カーペンターについて調べてみました。
1. カーペンターズプロフィール
カーペンターズのプロフィールは以下のとおりです。
出身地:アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス
活動期間:1969年~1983年
- 兄 リチャード・カーペンター
- 誕生日:1946年10月15日(72歳)
- 担当:ピアノ、バックコーラス
- 妹カレン・カーペンター
- 誕生日:1950年3月2日
- 没1983年2月4日(32歳)
- 担当:ボーカル、ドラム
2. カレンが命を落とした病気
カレン・カーペンターが32歳の若さで命を落とした病気。それは拒食症からくる心不全でした。
拒食症と過食症を合わせて摂食障害といいます。
拒食症とは、身体的な病気がないのに、精神的な理由から、食事がとれなくなってしまう病気です。
日本では難病に指定されています。
カレンは、マスコミから「ちょっと太っている」といわれたのをきっかけに、やせることに執心してしまいます。
ダイエットをして、痩せているのに、「まだ体重を落とさなければならない」という観念にとらわれ、食事をとらなくなってしまうのです。
3. 拒食症は何科にかかればよいのか
では話を現在に移します。拒食症を治療するには何科にかかればよいのでしょうか?
答えは精神科か心療内科、子供の場合は小児科や児童精神科です。
拒食症の場合、本人に病気であるという自覚がないため、周りの者が注意深く観察して、病院へ連れて行く必要があります。
4. カレン・カーペンターは結婚していた
カレン・カーペンターは、1980年、30歳のときに結婚しています。
相手は不動産業のトーマス・バリスです(当時39歳)。
残念ながら夫はカレンの病気を治そうという意欲がなく、結婚した翌年に別居しています。
1982年、カレンは拒食症を治そうとして、ニューヨークの病院へ通います。
1983年、カリフォルニアに戻り、離婚の手続きをとることにしました。
1983年2月3日、午後から離婚届に署名する予定でした。
ところがその朝、心肺停止状態になり、病院へ運び込まれました。
そのまま亡くなってしまったそうです。
結局離婚手続きはできませんでした。
もし離婚していたら、遺産が元夫に残されることもなかったでしょう。
5. 私とカーペンターズ
カーペンターズが活躍した1970年代、私は小学生~中学生でした。
中学生の時、よくカーペンターズを聴きました。
そして今から数年前、カーペンターズのことが懐かしくなり、ベスト盤のCDを購入しました。
収録曲は、
- イエスタデイ・ワンス・モア
- スーパースター
- 雨の日と月曜日は
- トップ・オブ・ザ・ワールド
- 涙の乗車券
- ベイビー・イッツ・ユー
- オンリー・イエスタデイ
- 遠い想い出
- ジャンバラヤ
- 動物と子供達の詩
- マスカレード
- ラヴ・イズ・サレンダー
- メイビー・イッツ・ユー
- リーズン・トゥ・ビリーヴ
- ふたりの誓い
- クリスタル・ララバイ
- アイ・ビリーヴ・ユー
- 遙かなる影
- 青春の輝き
- 愛のプレリュード
です。

私がレコードを初めて買ったのは高校生のときだ

カーペンターズはラジオから録音して聴いていたのですね
6. まとめ
以上、カーペンターズのカレンについて、命を落とした病気と、結婚について説明してきました。
カレン・カーペンターは、拒食症の治療の結果、体重を元に戻すことができましたが、ひとたびやせすぎてしまったため、残念ながら心臓に負担がかかってしまいました。
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