2019年4月1日、新元号「令和」が発表されました。出典は万葉集ということです。
万葉集とはどういうものかおさらいしてみましょう。
また今回の「令和」になったところもみていきます。
1. 万葉集とは
万葉集とは、7世紀後半(奈良時代)から8世紀後半に編集されたもので、約4500首がおさめられているそうです。
日本に現存するもっとも古い歌集です。
全20巻からなり、歌人の大伴家持(718?~785)が編さんしたともいわれていますが、実際には多くの人の手によってまとめられたもののようです。
2. 「令和」の出典
「令和」の出典は、730年に大伴旅人(大伴家持の父)の家で開かれた梅見の宴会で32首の和歌が詠まれたところの、序文です。
宴会は太宰府で開かれました。
序文に、「初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す」とあります。
この序文を書いた人は不明で、大伴旅人とも、山上憶良ともいわれています。
そして今までの元号は中国の古典から採用されましたが、今回初めて日本の古典から選ばれました。
3. 万葉集に出てくる歌人って?
万葉集に収められている歌の作者は、貴族から庶民まで幅広く存在しています。
大伴旅人(おおとものたびと)は西暦665年生まれ、731年没です。
今回の梅見の会が開かれた太宰府に赴任したのは728年頃とされています。
また山上憶良(やまのうえのおくら)は660年?~733年?と生誕と死没が明らかではありません。
「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも 」という句が万葉集に収められています。
さらに柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が有名です。
660年?~724年、長歌19首・短歌75首が掲載されています。
ちなみに「長歌」とは、五、七、五、七の句が続き、最後に七、七で終わるものです。
4. 防人歌(さきもりのうた)
万葉集に収められているのは貴族の歌だけではありあません。
有名なのが「防人歌(さきもりのうた)」です。
防人とは、663年に日本が朝鮮出兵の際、白村江(はくすきのえ)の戦いにて唐に敗れたことから設置されました。
九州で唐が攻めてくるのから守る役目を負った人たちのことです。
ここで疑問がわきます。
防人になるような人たちが、和歌をたしなんでいたのか。どうやって学んだのか。
はたして字が書けたのか。
私のまったくの想像でしかありませんが、防人たちから貴族が聞き取り、万葉集に収めたのでは、と思われます。
5. 万葉集関連の本
万葉集関連本を出版する角川ソフィア文庫は「新版 万葉集」(一)と「万葉集ビギナーズ・クラシックス日本の古典」の2冊を各8000部重版することを緊急決定。令和の出典元であることを記した新帯を付ける予定にしている。また、講談社文庫は万葉集関連の文庫のうち「万葉集 全訳注原文付」(一)~(四)「万葉集事典」の5アイテムについて、計1万部の重版を急きょ決めた。
出典:Yahooニュース

一度万葉集を読んでみたいものだな

楽しめそうですね
6. 高岡市万葉歴史館
富山県高岡市にある「高岡市万葉歴史館」では、4月3日から、「令和」と『万葉集』という特別展示を行ないます。
高岡市万葉歴史館のサイトはこちら
「西本願寺本万葉集」(複製)が展示されるそうです。
ゴールデンウィークに富山県を訪れる予定のある人は、立ち寄ってみても面白いかもしれません。
7. まとめ
以上、新元号「令和」の出典となった万葉集についてみてきました。
5月の改元が待ち遠しいような、一方で平成が終わってしまうのが寂しいような気がします。
コメント