今回の記事では、2018年の紅白歌合戦初出場となったグループ「純烈」のメンバー白川裕二郎さんについて説明します。
なんと、元力士だったのです。母の言葉がきっかけで芸能界入りするようになりました。
1.白川裕二郎さんの力士時代
白川裕二郎さんは1976年生まれ、現在42歳。
中学校では柔道部、高校ではバレーボール部に所属していました。
運動神経抜群だったようです。
高校を卒業後、柔道を習いに行っているときに、相撲部屋からスカウトされました。
そして1995年、9月場所から本名である「白川」の四股名で相撲界デビュー。
当時18歳でした。当時の体が、身長182cm、体重82kgだったそうです。
確かに力士としては小柄ですが、あの白鵬も、入門当時は身長175cm、体重68kgでした。
そこから体を作っていったのですね。
白川裕二郎さんは、大相撲入りしたものの、腰のケガから、わずか1年で引退しています。
2.白川裕二郎さんの母の言葉
白川裕二郎さんは、小学6年生の時にお父様を亡くされているそうです。お母様が裕二郎さんとお姉さんを育てました。
そして、力士を引退した裕二郎さんに、「俳優養成所に通ってみては」と助言したそうです。
身内ながら、イケメンだったことに気づいていたのでしょうね。
母の一言がなければ、白川裕二郎さんが芸能界入りすることはなかったわけです。
人の人生なんてなにがきっかけで変わるかわからないものですね。
3.芸能界デビュー
白川裕二郎さんは、2002年に「忍風戦隊ハリケンジャー」のカブトレンジャー役でデビューします。
この「戦隊もの」のそもそもの始まりは、1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」です。
現在でも続いているわけですから、実に40年以上の歴史をもつ番組なんですね。
私の息子は1990年生まれですが、1994年に放映された「忍者戦隊カクレンジャー」をよく見ていました。
4.純烈の結成
「純烈」は、男性5人組による歌謡グループ。「歌謡グループ」と紹介されるあたり、思わず昭和の時代が頭に浮かびます。
2007年から活動しています。
結成当初から、「紅白歌合戦出場」を目標としていました。
2018年、その夢が叶ったのです。お母様もさぞやお喜びでしょうね。
純烈の「プロポーズ」MVはこちら
純烈は「スーパー銭湯アイドル」と呼ばれています。

40代でアイドルとは

あら、いいじゃないですか、イケメンなんですから
5.紅白歌合戦初出場と視聴率
2018年の紅白歌合戦初出場歌手は、紅組があいみょん、DAOKO、白組がKing & Prince、Suchmos、純烈、YOSHIKI feat. HYDEの6組です。
う~ん、私は音楽番組をテレビで見ないので全く知らない。
「紅白歌合戦」は1951(昭和26)年に、第1回がラジオ放送されています。
第4回からテレビ放送となりました。
視聴率調査が始まった1962(昭和37)年は、なんと80%という視聴率だったそうです。
2017(平成29)年の視聴率は、1部35.8%、2部39.4%でした。
6.私の紅白歌合戦の思い出
もう何年も前になりますが、私は大晦日を入院しながら過ごした経験があります。
病院の消灯時刻は午後9時。
ところが、12月31日だけは、「紅白歌合戦が終わるまで起きていていい」というルールがあったのです。
そして夜食にロールぱんとパックの牛乳。
私はふだんの年は紅白歌合戦を最後まで見ないのですが、その年だけは最後まで見ました。
7.まとめ
以上、紅白歌合戦初出場となる「純烈」のメンバー、白川裕二郎さんについて説明してきました。こうやって、その人の背景を知ると、テレビを見るのががぜん楽しくなりますね。白川裕二郎さん、純烈のますますの活躍を祈っております。
コメント